テレンスマッケナによるDMT体験についての講演      The DMT Experience by Terrence Mckenna

テレンスマッケナによるユーモア溢れるDMT体験談の翻訳です。

 

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DMTを十分な量摂取するためには肺が相当に強くないといけないので、この点でハシシの愛好家たちは恵まれています。(DMTを喫煙する際の)一番の問題点は、むせてしまったり肺に煙を溜めることができないことなのです。2回も吸い込めば、感覚が一変して後ろにバタリと倒れてしまうことだってあるでしょう。2回で、ですよ。ここで多くの人たちが(完全なDMT体験を得る)チャンスを逃してしまいます。つまり2回のヒット(吸引)で、体験者は自分自身が完全に死につつあることを自覚してしまうのです。まるで全身が奇妙な麻酔にかかったように感じ、部屋の空気がどこかへ瞬時に飛び出していくような感覚がする。昨夜も(別の講演で)話したように視覚も鋭敏になって、色彩は跳ね上がるし、輪郭は鋭くなるしで、みんな「おお、、強すぎてヤバい」と言うんです。でもそこで大事なのは、たっぷりの量のヒットをさらにもう一回行うことなんです。これがカジュアルな体験からその先へと進む分かれ道になるのは確実です。

 DMTセッションの進行役は、吸引するかどうかを体験者任せにはしたくないものですから「おい!3回目を吸うんだ!」って言うでしょうが、「いや無理だ、もう完全に感覚が変になってるよ」って返ってくるだけでしょう。それでも「変になってるのは分かったから、とにかく3回目をいけ!」と諭して3度目を実行させると、こんなことが起きるのです。

 目を閉じるといたって普通の、暖かい感じのする茶色が瞼の裏に映って見える...。それから色彩は増えて共に活発に動き始め、それが曼陀羅や花のような形を作り出し、ゆったりと回転する...。私はそれを「菊の花」と名付けていますが、ここでの光景は、DMTトリップで体験者が楽しみにしているところでしょう。しかし15秒ほど「菊の花」を見続けても、トリップがそこから先へと展開していかなければ、それは吸引量が不十分だったということになります。その時はもう一度ヒットしましょう。それで大体は上手くはずです。

 そしたらどうなるかというと、自分自身が物理的に、その「菊の花」の構造へと投げ出されていってしまう。そしてそこでサランラップをくしゃくしゃに丸めて投げた時のような音が聞こえてくる。私の友人は「それはradiointellecty(?)が頭頂部にある大泉門から出ていくときになる音だ」とか言っていましたが、それが何なのかは私にはわかりません。(ここで講演の参加者の一人が「〇〇(聞き取りできず)のことではないですか?」と発言)そう!それのことです。えーと、話を戻しますと、この時、何というか、膜のようなものを突き破って「向こう側」へ到達するという極めてハッキリとした感覚を感じるのです。この「向こう側」に私が行った時の体験談を今からお話ししましょう。

 ブレイクスルー(DMTの摂取で「向こう側」へ到達すること)に成功すると、まず歓声が聞こえてくる。たくさんのエンティティ(存在者)たちが「向こう側」で待ってくれている。ピンクフロイドの「The Gnome(地の精)」で「(異界のノームたちに)hooray!って挨拶するためのの新しい方法を見つけたんだ」とかなんとか歌っているのがあったでしょう?まさにあの世界観なんです。ノームがいっぱいいる。こうした空間に弾け飛んでいくと、彼らは「君が来てくれるなんて最高だ!ここには滅多に人が来ないから、来てくれて嬉しいよ!」と言ってくるんです。

 DMTの不可解なところの一つに、それが精神に影響を与えないということがあります。つまり、あなたの心理状態自体は変化しない。例えばケタミンを摂取した時には、トリップが始まる前から既に、それを摂取してしまったという(後悔や恐怖などの)不安感が無くなっていることに気が付くのです。これが精神に影響を与えるということ、人間の判断力に何かしらが作用しているということです。しかしDMTはそこには関与しません。あの(「向こう側」の)空間へブレイクスルーする自分というのは、紛れもなくトリップ前の自分そのままの心理状態を保っているのです。だから大部分の体験者の反応はこういう感じでしょう。「おい、嘘だろ。心拍数も普通だし、脈も通常通り、全部正常のはずなのに...これはマジか。」

 なぜかって、エンティティたちがそこにいて、あなたに手を出してくる。近づいてくるんですよ。宝石みたいに輝きながら、ひとりでに跳ねてるバスケットボールみたいなやつが(会場から笑い)。そんなのがいっぱいいるんです。威嚇するみたいに跳ねて近づいてきたと思ったら目の前で立ち止まって、振動しだすんです。でもその時に鬱陶しいことをしてくる。というのは、そいつらが自分の身体の中に飛び込んでくるのだけれど、またすぐに出てきて目の前に戻ってきたりするんです。そういったことが全部、超ハイスピードで進行していく。一秒の体験の中に数えきれないほどの詳細な情報が含まれていて、ひとつひとつを考えている暇が無い。だから「何てこった」としか言えないんです。

 エンティティたちは「娯楽のために頭イカれたりするなよ」と言ってくる。それこそが自分が望んでいたイカれた体験なわけですが、そいつらは「やめておけ」と。「俺たちが今からやることをを黙って見てろ」と言う。それは声によって物体を作り出すということでした。彼らは歌うことによって、構造を実在せしめるんです。彼らは(人間のように)手で物体を作っているわけではないので、この現象は、ある意味でダウンロードするような感覚で、(人間の思考レベルに即した)低次元に落とし込むことで初めて理解されるのです。

 いずれにせよ、彼らは体験者に、ある物体を見せに来ます。「これを見て!これを見て!」。そしてそれに目を向けると、それが「ありえない」物体であることに気が付くのです。その物体は「不可能」なんです。ただ単に複雑な構造をした綺麗な物体であるとか、作るのが大変だとかそういうレベルではなく、もう作ることがそもそも不可能な物体なのです。一番似ているもので例えるならば、「インペリアルイースターエッグ」のようなものです。でもそれはUFOの中にある子供部屋に散らかっているおもちゃみたいな感じがするのです。神聖なおもちゃで、それ自体が生きているように見える。それが歌うことで初めて、物体が存在できるようになる。